絵画についてのヘッセの言葉

Hesses Farbkasten

Foto: Isa Hesse

© Silver Hesse

「しばしば耐え難いほどになった苦しみからの逃げ道を、これまで の人生でまだ一度もやったことがなかった、写生したり絵を描いたりを始めることで見つけました。それが客観的に価値のあることかどうかはどうでも良いので す。私にとってこれは文学がもうほとんど与えてくれなくなった芸術の慰めに身を浸すことなのです。欲望を持たずに没頭すること、願望を持たずに愛すること なのです。」

1917年 フェーリクス・ブラウン宛ての手紙から

 

「私のささやかな水彩画は一種の詩あるいは夢なのです。これは「現実」についてただの遠い記憶を与え、現実を個人的な感情や欲求に従って変えるのです…。自分が…ただのディレッタントでしかないということは忘れません。」

1918年 へレーネ・ヴェルティ宛ての手紙から

 

「筆や刷毛を使っての創造は私にとってワインなのです。その陶酔が人生を耐え忍べるところまで暖め、美しくしてくれるのです。」

1919年 フランツ・カール・ギンツキー宛ての手紙から

 

「絵はまったく単純な風景の題材に留まっています。それ以上に進むことはないでしょう。それ以外のすべてのものはなんと美しいことでしょう、空気や 動物や生き生きとした活気、ましてや最も美しいもの、人間があり、これは見えはするのです。時には心を打たれ、驚かされるほどです。でも、それを描くこと は私には出来ないのです。」 1922年 クーノー・アミエ宛ての手紙から

 

「私はここ数年、絵を描くようになってからというもの、文学に対して次第に距離をとるようになりました。…文学に対しては他にとるべき道がなかった のです。ちなみに、描かれた絵そのものになお何らかの価値があるのかどうか、ということは問題になりません。芸術においては、産業の場合とは反対に、時間 は全く何の役割も果たしません。最終的にその密度と完成度に関して可能なものが達成されてさえいるならば失われた時間というものはないのです。もし絵を描 くことがなければ私は詩人としてここまで来られなかったでしょう。

1923年 ゲーオルグ・ラインハルト宛の手紙から

 

「自分の経験からいうと、私が(文章を書く時と)同じような緊張と精神の集中を感じた憶えがあるのは、絵を描く仕事の場合だけである。この場合も全 く同様で、一つ一つの色を隣の色と正しく念入りに調合させるのは素敵でたやすいことで、これは習得できるし、習得してしまえば何度でも好きなだけ実際に やってみることが出来る。しかし、その段階を超えて絵全体の部分を、まだ少しも描いていない目に見えない部分も含め、本当にありありと思い浮かべて一緒に 考慮に入れ、互いに交差する様々な響きの込み入った網全体を感じとること、これは驚くほど難しく、滅多に上手くいかないのである。」

1925年の『湯治客』から

 

「私は絵を描くときの小さな椅子を手に持つ。これは私の魔法の道具であり、ファウストのマントなのだ。この助けを借りて私はもう何千回も魔法を使 い、くだらない現実との戦いに勝ったのだ。そして背中にはリュックサックを背負う。.この中には画板と水彩絵の具の入ったパレットと、絵を描くのに使う水 を入れた小さな瓶、それに何枚かのイタリア製の美しい紙が入っている…」

1928年 》ベルリン・日刊新聞《 掲載の『アリザリンレーキがなくて』より

 

「たとえその人が自分のことを疑わざるを得ず、自分の才能と技量をひどくちっぽけだと感じていても、我々芸術家の誰にも一つの存在意義と任務があっ て、自分に忠実でありつづけるなら、それぞれの場所でその人にしか出来ない何かを成し遂げるのだ。お前と私が一緒にテッスィーンで絵を描き、二人とも同じ 題材を描いても、どちらも一片の風景を描くというより、むしろ自分の自然への愛を描くのであって、同じ題材を前にしてそれぞれが別のこと、一度限りのこと をなしているのだ。…そして技量にかけては下手くそとか粗野だとか言われていた画家達のなんと多くが、後になってから高貴な闘士だったとわかり、その作品 がしばしば古典的な名手たちの最も偉大な作品よりも後世の人々により多くの慰めをもたらし、一層深く愛されていることか!」

1928年 ブルーノ・ヘッセ宛の手紙から

 

「私の文学作品には現実に対するあたりまえの注意が欠けている、とよく言われる。そして私が絵を描くと、木々に顔があったり家々が笑ったり踊ったり 泣いたりしている。しかし、その木が梨の木なのか橡の木なのかは大抵判別できない。この非難を私は甘受せざるを得ない。白状すると、私自身の人生も私には しばしばメールヒェンのように思われるのだ。私にはしばしば、外側の世界と私の内面とが、魔術的としか名付けようがない繋がりを持ち、調和しているように 見えたり感じられたりするのだ。」

1925年の『略伝』から

 

「普段は私は所有することに熱心とはいえず、簡単に別れを告げたり手放したりするのだが、今はしっかりととどめておきたいという情熱に苦しめられて おり、これには自分でも時として微笑を禁じ得ない。庭に、テラスに、風見の旗の下の小さな塔のところに、毎日毎日何時間もじっと坐り、突然にひどく勤勉に なり、鉛筆や筆で、刷毛や絵の具で、咲いては消えてゆく豊かさのあれこれを取りのけておこうとしているのだ。庭の階段の上の朝の影や、密集した支那藤が蛇 のようにうねっている様子を苦労して模写し、夕方の山々の、遠くガラスのように透きとおった、吐息のように稀薄でいて宝石のようにきらきらした色合いを真 似ようとしているのだ。それから疲れて、とても疲れて家に戻る。そして晩に私が描いた紙を紙挟みに仕舞う時になると、こういったすべてのうち自分が描きと め、取っておくことができたのがどんなに少ないかがわかって、ほとんど悲しくなってしまうのだ。」

1929年 『夏と秋との間』から

 

「あなたからのお便りのご返事に、ここに最近描いたささやかな絵をお送りします。―というのもデッサンをしたり絵を描いたりは私なりの休息だからで す。この小さな絵があなたに、自然の無垢が、幾つかの色の響きが、たとえ苦しく問題を孕んだ人生の真っ只中にあっても、どんな時にも再びわれわれの中に信 仰と自由とをもたらすことができることを示してくれるよう願っています。」 1930年 ドゥイスブルクのある女子大生に宛てた手紙から

ヘルマン・ヘッセ『色彩の魔術―テッスィーンの水彩画』フォルカー・ミヒェルス編 からの抜粋