6/27

こうして今や、多くの嵐や犠牲を乗り越えて、目標は達成された。あれほど不可能に思えたのに、やはり私は詩人となり、どうやら世間との長く粘り強い闘いに勝った。しばしば滅亡に瀕したあの学校時代、修業時代の辛かった苦しみは今や忘れられ、微笑みかけられた――それまでは私に絶望していた身内や友人たちが今度は親しげに微笑みかけてきた。私は勝ったのだった。そして私がどんなに馬鹿げた価値のないことをしても、私自身大いにいい気になり、それが素晴らしいと見なされた。今初めて自分がどれほどひどい孤独と禁欲と危険の中に何年も生きてきたかに気がついた。称賛の生ぬるい空気が心地良かった。そして私は満ち足りた人間になり始めた。外面面的には生活はしばらくのあいだ穏やかに快く経過した。私には妻と子供たちと家と庭があった。私は数冊の本を書き、愛想の良い詩人と見なされ、世間と平穏に暮らした。一九〇五年にある雑誌の創刊に手を貸した。それは特にヴィルヘルム二世の親政統治に反対するものだったが、実のところはこの政治的な目標を真に受けていなかった。私はスイス、ドイツ、オーストリア、イタリア、インドへ素敵な旅行をした。すべては順調だと思えた。そこへあの一九一四年の夏がやってきた。突然、内も外もすっかり変わったように見えた。我々のこれまでの繁栄が不確かな基盤に立っていたことが明らかとなった。それで今度は逆境が、大いなる教育が始まった。いわゆる大いなる時代が始まったのだ。これに対して自分は、他のすべての人たちと同様に、不意をつかれ、取り乱し、うまく対応できなかったとしか言えない。当時の私が他の人々と違っていた点といえば、大多数の人々が感じていた熱狂というあの大きな慰めを持っていなかったことだけである。これによって私は再び我に帰り、周囲と衝突し、もう一度教育し直され、もう一度自分自身と世間とに対する満足がまやかしだったことを学ばねばならなかった。そしてこの体験によって初めて大人への通過儀礼の敷居を踏み越え、本当の人生を歩みだした。