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そうなのだ、私にはこの大いなる時代について喜びを共にすることは出来なかった。こうして私は戦争に初めからひどく苦しみ、外部から青天の霹靂のように降りかかってきた不幸に対して何年にもわたって絶望的に抵抗したが、私の周りでは世界中が、まさにこの不幸をまるで心から喜んで熱狂しているかのように振舞っていた。そして、戦争の幸福を発見したという詩人たちの新聞記事や、教授たちの呼びかけ、有名な詩人たちの書斎から発せられたありとあらゆる戦争詩を読むと、私はなお一層みじめになった。一九一五年のある日、私の口からついうっかり、この惨めな気持ちを告白し、そして、いわゆる理知的な人々も憎悪を説き、嘘を流布させ、この大いなる不幸を褒め称える以外に何もできないことに遺憾の意を表する言葉が、世間に洩れてしまった。それはかなり控え目に表明されたのだが、この訴えの結果、私は祖国の新聞で裏切り者と宣告された――これは私にとって新しい体験だった。というのも、新聞とは接触が多かったにもかかわらず、大多数から唾を吐きかけられる境遇はまだ知らなかったからである。その告発を載せた記事は祖国の二十の新聞に転載され、ジャーナリズムに大勢いると思っていた友人たち全部の中、敢えて私を擁護してくれたのはただの二人だけだった。旧友たちは、自分は胸にお前という毒蛇を養っていたのだ、この胸はこれからは皇帝とお国のためにだけ鼓動し、お前のような堕落した奴のためには鼓動しない、と私に告げた。見知らぬ人々から誹謗の手紙が大量にやって来た。本屋は、このように唾棄すべき根性の著者はもう用はない、と告げてきた。これらの手紙の多くで私は一つの飾りを知った。その時はじめて見たのだが「神よイギリスを罰したまえ」、という文句のついた小さく丸いスタンプだった。